私の住んでいる村に初雪が降った。友達が採ってきてくれた柿は軒下に吊るして、今年は高い所もズク出して揉むぞと心に決める。
ぽかぽか太陽の下、娘と並んでお弁当が食べられる陽気な季節も終わり。秋の楽しみが過ぎ去ったことを憂いていた矢先、フウシカオーガニックからはピーンと張った小松菜やカブ、日差しを浴びて輝くトマトとピーマン等、今日も多種多様なお野菜達が届いた。
「フウシカ野菜の定期便 2023年11月10日」
ー本日のお品書きー
・みやま小かぶ
・黄金かぶ
・ゆるぎ赤かぶ
・ケールミックス
・二十日大根
・ルッコラ
・さつまいも
・トマトーメニーナ
・じゃがいもーきたあかり
・ピーマンーカリフォルニアワンダー、ニュークリーム
・ごせき小松菜
・赤からし菜
・千筋京水菜
立冬に食べるフウシカオーガニックのトマトとピーマン。夏に比べればさすがに硬いけれど、旨みはしっかり詰まっているから炒めて美味しく頂いた。
スーパーの生鮮売り場では食材の旬を知ることはできても、畑に在る野菜の一生を知ることはできない。地場の野菜が姿を消して遠くの産地のものが出回ると、自然と気持ちも離れていくものだ。だけどフウシカオーガニックの宅配野菜を始めてから、見た目や味や食感は変われど逞しく在り続ける野菜の姿に、命のリアルを感じるようになった。まるで畑の隣で暮らしているかような感覚で、ありのままを受け入れている感じ。「カブの葉っぱも一緒に炒めたけど、これ美味しいね!」「根っこも甘くて美味しいよ」なんて新たな発見を楽しみながら、家族で「おいしい」を探し、楽しんでいる。
野菜って、愛おしい。
文・写真/種と風広報舎
]]>空を見上げると鱗雲とトンボ。トンビが空高く舞っている。少し時間ができたからと、フウシカオーガニックの薫ちゃんがお野菜を直接届けに来てくれた。コンテナの中には鮮やかな夏野菜と共に、柔らかな水菜や辛子菜、小松菜も入っていて気分が上がる。これだけの種類のお野菜を育てることは勿論のこと、広い畑で個別に収穫して準備するのだってとても手間のかかることだと思う。いつもは宅急便だけど、こうして農家さんの手を通して受け取ると、一層背景が見えてきて有難みを感じる。
「フウシカ野菜の定期便 2023年10月11日」
ー本日のお品書きー
・パティソン(UFO ズッキーニ)
・真黒茄子
・緑茄子
・ピッコロししとう
・トマトーメニーナ
・フランムトマト
・じゃがいもーきたあかり、グランドペチカ
・ピーマンーカリフォルニアワンダー、ニュークリーム
・いんげんー ケンタッキー北杜
・きゅうり
・ごせき小松菜
・赤からし菜
・千筋京水菜
子どもの舌は正直だな、と最近よく思う。同じ野菜でも個体差を見分けるし、時期などで変化する味や食感に敏感だ。それまで苦手そうだった野菜を何かの拍子に食べた時、「おや?」という顔をしてから続けて食べる時、私は心の中でガッツポーズをする。フウシカオーガニックの野菜で、そういうガッツポーズの体験を何度もしてきた。今回はきゅうり。最近あまり食べなかったけれど、久しぶりにフウシカのきゅうりを切ってあげたら、味噌をちょっとつけてぽりぽりと美味しそうに食べ続けてくれた。
薪ストーブの季節が本格的にやってくる。フウシカオーガニックの宅配野菜で初めて食べたじゃがいも「グランドペチカ」。味が濃く、甘くてほくほくしていてすごくおいしい。アルミホイルに包んで薪ストーブに放り込んでおけば、翌朝には焼きじゃがいもの出来上がり。塩を少しふって朝サラダで食べたら一日が幸せで始まるのだ。
薫ちゃん、ありがとう。また来てね。
文・写真 / 種と風広報舎
]]>・お住まい:山梨県北杜市
・利用商品:宅配野菜 市内配達
お盆を過ぎた八ヶ岳山麓の夕暮れは、秋の清々しい空気が入り交じる。ふんわりと穏やかな空気の中に、鮮明に澄んだ光を感じさせる二人だった。話を聞き終えた帰り道、夕焼けに染まる八ヶ岳を眺めながらそんなことを思う。一滴また一滴と注がれて落ちる雫のように、ゆっくりと静かに始まったのは、二人のこれまでとこれからに繋がる物語。
昨年の春に長女 縞ちゃんが産まれ、程なくして東京から山梨県北杜市へと移り住んだ岩井一家。自家焙煎のコーヒーとコーヒーのための焼き菓子屋「yori」は、今はまだ店舗のない俊樹さんと都さんのブランドだ。二人は東京を中心にそれぞれコーヒーを生業としてきた。都さんは西荻窪にある小さな喫茶店のカウンターを任され、俊樹さんは先駆的なゲストハウス等を展開する「Backpackers’Japan」に入社して今年で11年。蔵前にあるゲストハウス「Nui. HOSTEL & BAR LOUNGE」でバリスタを務めた後、他の新店舗やカフェブランドの立ち上げに尽力してきた。俊樹さんがコーヒーを淹れるなら、都さんはそれに合う焼き菓子を。「yori」はいつの日か二人で開くお店の為に生まれ、イベント出店やコーヒー豆と焼き菓子の卸を中心に少しずつ育ててきた。
はじまりは、都さんの亡きお母さんの故郷、長野県木曽の風景だった。エネルギーに満ちた山塊と果てまで続くような澄んだ空の下、いつかコーヒー屋さんをしながら家族と暮らしたい。その思いは上京してがむしゃらに働いている間もずっと都さんの心に在った。俊樹さんも、都さんとこれからを描いていく中で自然とその感覚に寄り添うようになっていった。
サードウェーブと呼ばれるコーヒー業界の1つのムーブメント。それらを手掛けた先人たちのカッコよさとコーヒーの美味しさに夢中になり、わき目を振らず背中を追いかけてきた俊樹さんと都さん。一方で、飲食業界の厳しい現実を前にコーヒーを諦めてしまう人もたくさん見てきた。「そんな二人が家族と暮らしを大切に、楽しく穏やかにコーヒーを続けられる姿を示せたら、これからのコーヒーのある暮らしとそれを支える人たちの発展に繋がる気がします」と都さん。家族の時間を大切にした暮らしと二人が思い描く「yori」のカタチ。それらを合わせてみた時、地方移住は最も現実的で理想的な選択として導かれた。
ボルダリングが趣味の俊樹さんは、年に数回北杜市近郊を訪れていた。美しい山々と空の色、風の匂い。そこに佇むだけで心が洗われるような感動は、住んでからも毎日のように感じている。移住先探しのために他の地域も見て回ったけれど、いつも心にあったのは北杜の景色だった。そんな折に都さんが妊娠。決断するには最後のタイミングという時、長野県川上村で「Backpackers’Japan」がキャンプ場「ist - Aokinodaira Field」を始めることが決まり、俊樹さんは迷わず手を挙げた。それまでの店舗立ち上げの経験が期待され俊樹さんの転勤は決まり、迷うことなく家族で北杜市への移住を決めた。
クライミング仲間の紹介で知り、数年前から「yori」のファンだったというフウシカオーガニックの森夫妻。岩井家とはSNSで繋がっており、北杜市に移住してきたと知った時にはすぐにメッセージを送った。その少し前、別の縁で「ist - Aokinodaira Field」のカフェでフウシカオーガニックの野菜の採用が決まり、偶然にもそこに俊樹さんが働いていたことで改めて繋がった岩井家と森家。キャンプ場での取引が始まると同時に、岩井家でも自宅用の宅配野菜を始めた。
東京にいた頃は有機野菜を販売する友人から野菜を買っていたという都さん。移住してきて新たな購入先を一から検討するより、人と人の繋がりを大事にしたいと森さんの野菜を選んだ。
「おおざっぱな性格なので愛着が大事で。これは誰々にもらったとか誰々が作ったと思えたら大切にしようと丁寧になれる。台所にある野菜から森さんの顔が浮かべば、絶対腐らせちゃダメー!と思えるんです」
フウシカオーガニックの環境に対する姿勢も、すんなりと共感できた。温暖化によりコーヒー豆の不作が続き、気候変動などの環境課題は二人にとって身近で深刻な問題。コーヒーの産地に足を運ぶのは難しくても野菜はすぐそばにある。生活に近いものはコーヒーと同じように、背景や思想も含めて大切に選びたいと、宅配を始めてまもなく家族でフウシカの畑を訪れた。
農家さんから直接野菜を購入すること、それは単純に楽しい体験だと話すのは俊樹さん。
「美味しさはもちろん体と環境に優しいことも大切だけど、買い物する楽しさと嬉しさは同じくらい大事にしたいです。同じものを買うならAmxx.onにもあるけれど、少し足を延ばして店主のこだわりが詰まったセレクトショップで買った方が嬉しいのと同じかな」
コーヒー屋という仕事は、背景や作り手の思想も含めて様々な“味”を表現する仕事。故に日頃から口に運ぶものには意識的でありたい。そう語る二人は日々の食卓を楽しみながら、あれこれ“味”についての会話を楽しむ。
「フウシカの野菜は食べれば食べるほど色んな味を感じられるようになるのが面白い。特に水菜は衝撃的でした。味の濃さといい歯ごたえといい、スーパーのものはもう食べられないです…」
1歳半になる縞ちゃんは、離乳食を始めてから今日まで家で食べた野菜の殆どがフウシカ野菜。今日も森さんが届けたミニトマトを何度もおかわりしながら食べている。「職場でも『この野菜は何ですか⁉』とよく驚いて聞かれます」と俊樹さん。実際に「ist - Aokinodaira Field」でフウシカオーガニックを知り、その後宅配野菜を頼んでくれた方もいるという。
二人で始まった「yori」への想いは、縞ちゃんが誕生したことで一層深まる。自分の子供だけが幸せであれば良いわけではない。平和を願う未来は、自分たちの日々の生活と隣り合っている。不思議な感覚だ。
「コーヒー屋は公と私の境界が曖昧で、お年寄りから赤ちゃんまで色んな人と価値観が集まり、自然と影響を与え合う場所です。僕らがこの仕事を続けてきてよかったことは、そんな環境のおかげで一つの価値観に縛られず、内も外も見つめられるようになったこと。そして、いつのまにか自分たちを支えてくれる繋がりが生まれていました」
俊樹さんが続ける。
「僕らが作るお店は、新しい価値観やアイデアが自然と芽生えるような場でありたい。選択肢はたくさんあることを次の世代に見せることができたらいいな。だけどそれはちょっと先の目標で、まずはしっかりお店を形にして、これまで繋がってきた人たちと集いたい。誰もが自由に立ち寄れて、新たな出会いが自ずと生まれ繋がっていくのが理想です。いい町には、いいコーヒー屋がある。僕らはいつかそんなお店をつくりたい。時間はとてもかかるけれど、やりがいのある仕事です」
話を聞きながら、岩井家が作り出す「yori」の光景を想像しては何度も心が躍った。これまで積み重ねてきた時間と想い、育まれた繋がりが一つの場に宿り、多様な力が芽生えることだろう。澄んだ光が、そこに生きるものたちに滋養を与えるように。(完)
取材・文・写真/ "種と風広報舎" Chiaki Nakamori
]]>私の暮らす標高1150mの八ヶ岳山麓では、お盆を過ぎたら秋の気配。例年だったら、もう半袖だと心もとないのだけど、どうやら今年は少し様子が違っている。空の色や風に秋が入り交じるけれど、日中の暑さにはまだまだどーんと夏が居座る。2歳の娘は家の中ではおむつ丸出し。私が土の付いた手袋でも洗おうかと外水道の蛇口をひねれば、水遊びしたさに飛んでやってくる。
「フウシカ野菜の定期便 2023年8月26日」
ー本日のお品書きー
・イタリア茄子 フィレンツェ
・緑茄子
・メロン
・じゃがいも きたあかり
・人参 ベーターリッチ
・パティソン(UFOズッキーニ)
・白ズッキーニ
・オクラ ダビデの星
・紫キャベツ
・トマトーメニーナ
・ステラミニトマト
・にんにく
今回届いたフウシカのトマト。ミニも中玉も、薄皮の中に濃厚な甘みと酸味がむぎゅーっと詰まっていて、本当に美味しい!娘はトマトの味にはやけに敏感で、食べる時はむさぼり食べるのに、あんまりだと一口も食べてくれない。今回のステラミニトマトは、届いた時から袋をつかんで摘まみ食べ。おやつの時間はミニトマトで十分満たされ、こちらとしても大変満足。
フウシカの宅配野菜が届いて数日の台所原則は「炒めるだけ。切るだけ。」そこにおいしい塩や醤油、油。サラダだったらお気に入りの酢でもあれば、恵みを感じる楽しい食卓のできあがり。旨みをしっかり感じるお野菜には、シンプルな味付けで十分。それが一番おいしいし、自然への感謝と作り手への尊敬を、体で感じることができる。
文・写真/ 種と風広報舎
]]>「フウシカ野菜の定期便 2023年8月8日」
ー本日のお品書きー
・真黒(シンクロ)茄子
・緑茄子
・イタリア茄子 フィレンツェ
・パティソン(UFOズッキーニ)
・白ズッキーニ
・きゅうりーしろうま
・ピーマンーカリフォルニアワンダー
・トマトーメニーナ
・ステラミニトマト
・いんげんーケンタッキー北杜
・じゃがいもーきたあかり、グランドペチカ
・にんにく
待っていましたよ、フウシカ茄子の3兄弟。左から、緑茄子、真黒茄子、フィレンツエ茄子。
パンパンに張った薄皮の中に、とろけるような果肉を閉じ込めたフウシカ自慢の茄子たち。日々の朝露と限られた雨水、地の養分を、自らの力で懸命に吸い上げたのかと想像し、納得のその旨み、余すことなく、有難く頂きますよ。今夜のメインは油を惜しまずグリルに決まり。手にした野菜の力を信じて、思った以上に厚切りにしても大丈夫。
野菜たちの放つエネルギーに感化されたのか、突然の「ナスおどり」を始めた娘。「ナッス~!ナッス~!」とこぶしを振り上げて、時折ドスンと四股(シコ)を踏む。
齢2歳の小さな体に宿ったその舞いは、力強くも、なんだかやけに楽しそうで、茄子の神様はこんな感じなのかと、勝手に想像してみたりした。思えばフウシカの野菜は、ある土地で脈々と受け継がれてきた在来種などの固定種ばかり。きっとそれぞれの風土の中で、大切に守られ、育ち育てられてきた魂のようなものが、種に宿っているのだろう。
小さな体に繋がれた命に、感謝。
文・写真/ 種と風広報舎
]]>今年もフウシカオーガニックの野菜の定期便が始まった。手にした途端、「元気」を感じる小包は、ひんやりと少し湿っている。開封はいつも娘が独占。
特別な存在感を感じる、フウシカオーガニックのカリフラワー。むぎゅっと固く詰まった姿に健気な逞しさを感じ、なんだかとても愛おしい。娘は固くて嫌がるかと思ったけれど、その晩に炒めて出したら迷わず完食していた。
「かわいいね」「おにぎりみたい」「こっちはなあに?」
袋詰めされていない等身大のやさいたち。ひとつひとつ触ってたしかめて、お話する。
「フウシカ野菜の定期便 2023年7月12日」
ー本日のお品書きー
ちぎったケールは予め塩とオリーブオイルで混ぜておき、そこにきゅうりとミニトマトを後入れし、赤酢を振ってサラダ。UFOズッキーニにはチーズをのせて、少しの塩とオリーブオイルでグリル。やっぱりこの食べ方が最高に美味しい。
今年もFUUSHIKAの野菜と一緒に八ヶ岳の短い夏を愉しむぞ、な夜。
文・写真/ 種と風広報舎
・お住まい:山梨県北杜市
・利用商品:宅配野菜 市内配達 定期便(隔週)
庭ではヤマボウシの花が咲き、新緑の山野草が初夏の訪れに背を伸ばす。眩しい陽が降り注ぐ梅雨入り前のとある日、フウシカオーガニックの森夫妻と共に訪れたのは、畑からほど近い佐藤健一さん、玲子さんのご自宅。招かれたリビングでは、プリンとクリスが床に寝そべってお昼寝。テラスでは新入りのシルクが外の様子を伺っている。こんがり日焼けした森さんが抱えてきたのは今期最初の市内配達。黄色い花を咲かせた春菊のブーケと共に、ケールやレタス、カブやじゃがいも等の賑やかな仲間たちがキッチンに届けられた。
「あの日もちょうどこんな陽気の日でした。最後の桜とスイセンが咲いていて、目をやると南アルプスと八ヶ岳。こんなところに住めたらいいねと二人で辺りを散歩してね」と話し始めたのは、10年前、佐藤夫妻が小淵沢に移住するきっかけとなったある日の話。渋谷でファッションの教員をしていた玲子さんに届いた、とある展示の招待券をきっかけに、5月の連休に訪れた小淵沢高原。開館より早く着いたので美術館の駐車場に車を停め、たまたま散歩した小道で、二人の心は動いた。その日を境に週末ごとに訪れるようになり、月末には今の土地を購入。着想から1か月にも満たない、言うなれば無計画と言ってよい決断に我ながら驚くけれど、10年の月日を経た今に後悔はなく、この直感は間違いではなかったと、二人は朗らかに語る。
「(激務で)平日に家で晩御飯を食べる日なんてなかった。このまま続けていたら、絶対に体を壊すと思っていました」と、当時を振り返る玲子さん。夫婦ともに多忙を極めていた仕事のこと、高齢で一人暮らしをしていたお父さんのこと、海外で独り立ちを始めた娘さんのこと。三つの針がぴたりと重なり、ごく自然な流れで1つの道が開けた。「父が反対したらやめようと思っていました。だけど父は一緒に来てくれた。介護といっても、どちらかの生活を犠牲にしたり遠慮し合ったりすることはしたくなかった」と玲子さん。移住後の生活に、何か明確な希望があったわけではない。ただ、この場所でお父さんと一緒に暮らすこと、仕事を辞めること。2人が決めていたことはその2つだけだった。
皆が初めての場所で、3人並んで再出発した小淵沢での暮らし。辺りに野生が息づく環境で、朝日を浴び、季節を肌で感じる中で、90歳を過ぎたお父さんはだんだんと前を向くようになっていった。家の前の急坂を毎日散歩するようになり、決まった休息場所ではご近所の方との会話を楽しんだ。自然と人が和やかに息づくこの地で、お父さんと3年半共に生活できたこと、この場所をお父さんがとても気に入ってくれたことが、本当に良かったと玲子さん。
小淵沢に移り住み、穏やかに暮らしを営む佐藤夫妻。二人はいかにしてフウシカオーガニックと出会ったのか。時間を30余年巻き戻し、その物語を始めよう。
「この青い海と青い空はいつまで続くのだろうと、ふと思ったんです」
子どもが産まれ、家族と共に見た景色の中に浮かんだ問いだった。短大の准教授から専門学校の教員と、長年ファッションを教えてきた玲子さん。煌びやかな流行の裏で、地球にどれだけの悪影響を与えているのだろう。良いものが生まれ、皆が気に入ってくれたとして、それでも残ってしまうものは一体どこへ行くのか。30年前は、まだ誰も気に留めていなかったファッション業界の裏にある様々な環境・社会的課題。それらのことに目を向けずに、生産と消費を促す教育を続けていいのだろうか。ある日突然降りてきた問いに、これから向き合う使命が見えてきた。
しかし自分で勉強してみても、当時の教育現場には、これらを教える前例も既存のテキストもない。そこで助けを求めた先が、時代に先駆けて環境の取り組みを進めていた企業だった。各所に問い合わせた中で、快く応えてくれた一つが、森隆博さんの前職であるアウトドアブランド「パタゴニア」。綿はどうやって生産されているか、衣料に使う染料が川や海に与える影響とは何か。勤め先から近い渋谷ストアには足繁く通い、営業時間外の店舗で課外授業に協力して頂いたり、イベントを共同開催したりするまでに発展した。パタゴニアが教えてくれた事実と実践は、玲子さんの目指す教育を少しずつ形作ってくれた。玲子さんは、当時窓口となって熱心に対応してくれたスタッフだけでなく、パタゴニアという会社が真剣に課題と向き合い、利益度外視で協力してくれたことに大きな感動と信頼を覚えたという。
こうして築かれたパタゴニアとの縁は、教員を退職後も続く。移住して数年が過ぎた頃、自宅から近い長野県川上村に期間限定のパタゴニア川上店が出来たのだ。そこには奇遇にも、当時渋谷ストアでお世話になった方が転勤となっていて、嬉しい再会を果たした。それからは頻繁にパタゴニアの仲間を自宅に招いては、お酒を片手に楽しい時を過ごしていたという。そしてその席にいた一人が、近い将来フウシカオーガニックを築く、当時パタゴニア川上店勤務の森隆博さんだった。その後川上店は閉店となったが、佐藤夫妻と隆博さんとの交流は続き、就農のためパタゴニアを退職したこと、修行を経てフウシカオーガニックとして独立したと聞いた時には、すぐに応援することを決めた。
森さんの熱意とビジネスを少しでも応援したい。これまでずっとファッションを通して行動してきたけれど、今度は野菜を通して何かを投じることができたら。そのことには健一さんもすぐに快諾してくれた。
「森さんの野菜は、食べると畑の情景が目に浮かぶんです。背景まで知っているからかな。他で買ってきた野菜だとそうはならない。意識の中で、野菜作りに参加させてもらえる。それから、僕が子どもの時に食べていた野菜の味がします」と健一さん。福島の田舎で育った健一さんは、小さな頃から地域の伝統野菜を飽きるほど食べてきた。忘れかけていた土の味。記憶の香りを呼び起こしてくれたのは、フウシカオーガニックの野菜だった。
健一さんは小淵沢に移住後、それまで趣味で続けていたそば打ちを本格的に仕事として始めた。以来9年勤めている「そば処三分一」では、地産地消を大切にしたお店のコンセプトとフウシカの野菜づくりが合致し、独立後すぐにナスとかぼちゃの仕入が始まった。今ではお店のスタッフは皆「森さんナス」「森さんかぼちゃ」と呼んで、その美味しさを喜んでいるという。「切ると瑞々しさが全然違います。それから野菜をとても丁寧に扱う森さんの手元には、見習うものがあります」と健一さん。それを受けて隆博さんは応える。「就農したばかりの農家が卸先を決めるのはとても大変なこと。でも健一さんは温情でお店に薦めてくれた。そのおかげで、今の僕が一番自信をもって作れる野菜がナスになりました。本当に感謝しています」
ご自宅には、2週に1度森さんが宅配野菜を届ける。前の週で使いきれなかった野菜があれば、これは別の方にどうぞ、とその場で返したり、サラダが好きな娘さんが帰省する週には葉物を多めに入れてもらったりと、作り手との会話を楽しみながら、柔軟に対応していただけることが嬉しい。
フウシカの宅配野菜を始めてから変わったことを聞いてみると、玲子さんから面白い答えが返ってきた。「森さんの野菜には、その時々で小さい子がいるんです。スーパーで同じ野菜が並んでいたら、より大きい方を選びたくなりますよね。私はずっとそうだった。でもある時入っていた小さなカブに触れた時、今のこの子の力が、この姿なんだと感じた。それからは時季外れに大きく揃った野菜に違和感を感じるようになりました。もしかしてその子らは、何か(良からぬもの)を貰ってしまったのかなと・・・」
フウシカオーガニックでは肥料を畑に持ち込まない。その地に在る自然と共に、種本来の力が野菜を育てる。だから形も大きさも整うことはなく、ありのままの命が姿となる。宅配野菜を始めてから、野菜の見え方が変わったという二人。この地が育む自然をささやかに喜び、丁寧に食したい。フウシカの野菜は、佐藤家の台所と食卓をやさしく灯す。
肥料を使わず、やみくもに除草もしない。既にその地に生きて在るものを認め、種が持つ個の力を大切にするフウシカオーガニックの野菜づくり。真に「元気がある」野菜に価値を見出し、まだ知らぬ人に伝えることは簡単ではない。目隠しをして食べて違いがわかるほど、敏感な舌があるわけではない。それでも佐藤夫妻がフウシカオーガニックを選ぶのは、未来にかける願いと共に、森さんへの深い信頼と安心感があるから。「天然きのこというと重宝されるように、地力のある野菜の価値が、もっと伝わればいいですよね」と健一さん。
フウシカオーガニックの野菜が来てから、玲子さんの料理は少し変わった。キッチンに並んだ顔を見ながら、さてどう食べてあげようかと頭をひねる。食べたい料理から食材を選んでいた以前とは、真逆のような発想だ。だから同じものは二回とない。森さんの作るものなら、初めての野菜があっても大丈夫。料理する楽しみと食べることで得られる発見があり、それがまた面白い。
健一さんは週5日、自転車かランニングで「そば処三分一」へ通勤する。10年間治らなかった胃潰瘍は、ここに暮らし始めて半年で治った。保護犬だったクリスは、家族になってから段々と毛色が茶から白に変わり、のびのび駆け回れる生活が良いのか、足が長くなった。同じく保護犬だったシルクは、家族になって今年でちょうど1年。少しずつ暮らしに慣れ、気持ちを通じ合えるようになってきた。
佐藤一家が営むこの家は、かつて玲子さんのお父さんも共に暮らした面影と共に、健やかでやさしい光に満ちている。(完)
取材・文・写真/ "種と風広報舎" Chiaki Nakamori
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・お住まい:山梨県北杜市
・利用商品:宅配野菜 市内配達 定期便(週1回)
〈前編を読む〉
自らの経験をもとに、自然と共にあるサロン「sora et ATELIER」を営む清水友保さん、莉奈さん夫妻。身になるものへの安心安全、未来の環境を願う想いは、出産と子育てを機にさらに高まった。後編では、二人にとってのフウシカオーガニックと、その魅力について聞いた。
フウシカオーガニックの野菜は、他と比べて決して安くはない。一般的なスーパーで売られている野菜の価格に慣れた私達が、日々の生活に取り入れることを躊躇するのは当然とも思える。そのことについて二人に尋ねると、返ってきたのはあまりに明快な答えだった。
「お金は投票だと思っています。安さだけが価値ではない。作られている背景、作り手のこだわりへの投票。子どもが生まれ、より一層そういう意識に変わってきました。それに、自分たちの選択で作り手が苦しんだりするのは、心地の良いことではない」と話すのは莉奈さん。「いつもの野菜を森さんの野菜に変えることは、つい買いすぎてしまうおやつを我慢するのと同じくらいじゃないかな。自分たちの身になっていくものに妥協はできないです。どんないい物を所有していても、自分自身が健康でなければ意味がない。年を重ねていくことで、親としても経営者としても、より健康でいなければいけない立場になってきました」と友保さん。心と体は日々食べているもので作られる。『身土不二』と言って、食べ物が作られる自然環境に在るエネルギーは、それを食した人の心と体のエネルギーになる。命を養う大切な時期の子どもにも、たくさん食べさせたい。そう語る二人の言葉には、ご自身を通して感じ得ている確信のようなものがあり、説得力に満ちていた。
フウシカオーガニックが育てている野菜は約50種類。土中バランスを考慮しながら、自然の巡りと歩調を合わせて畑の勢力図も移り変わっていく。その中でも、フウシカのレタスが大好物な友保さん。「口に残る変なえぐみが一切なくて本当に美味しい。塩とオリーブオイルだけでひたすら食べられます。この前食べた白菜も、びっくりするくらい美味しかった。それに森さんの野菜は1週間後に食べても新鮮で、萎びたり嫌な腐り方をしたりしない。むしろ一段と味が詰まっていくような感じ」と話す。野菜の美味しさを尋ねると、止まることなく二人は頷き話す。「素の味がしっかりしているから、娘はケールなんかも生でぽりぽり食べます。料理は蒸すだけ、炒めて塩だけ、素揚げして塩だけ、とか。以前よりシンプルになりました。皮や根っこまで美味しく食べられるからゴミも出ないし、結果的に手間が省けて助かっています」と莉奈さん。
一物全体、まるごと食すことができる幸せ。それは野菜に宿る素材の力があってこそ。そう思った時、「sora et ATELIER」について語った二人の話と繋がった。「今日よくしたい、明日までによくしたいって思いがちだけど、それよりも、環境に配慮しながら自然界のペースで髪や身体そのものをより良くしていきたい。何かを足すのではなく、素のものをよくしていくことを大切にしたい」
清水夫妻の手掛ける「sora et ATELIER」と、森夫妻の育てるフウシカオーガニック。両者は人も含めた自然を、ありのままで受け止め、慈しむ心で通じ合っている。〈「sora et ATELIER」について聞いた前編を読む〉
二人が感じているフウシカオーガニックの魅力。それは宅配という形にもある。定期便にすることで、他では殆ど目にすることのない固定種の伝統野菜との出会いも楽しめ、地域や環境のことを考えるきっかけにもなっている。「どう食べるか迷ったときは、薫ちゃんに聞いたらなんでも教えてくれます」と莉奈さん。また清水家は、フウシカオーガニックが取り扱っている塩や醤油などの調味料、ふりかけやチョコレートなども愛用中。ぶれない視点でオーガニックな暮らしを提案してくれる点も魅力だという。
「森さんが勧めてくれるものに間違いはないです。完全に信頼しきっています(笑)野菜とも相性が良く最高の贅沢。夏に頂いた『緑ナス』初めてだったから薫ちゃんに聞いたら、炒めて醤油がいいよって。それでやってみたら最高に美味しかった。花ズッキーニのフリットも、教えてもらってすぐやりました。料理する人への思いやりに溢れていて、その気持ちにほっとします」
フウシカの野菜を食べるようになってから、堆肥づくりを始めたという莉奈さん。「安心安全なものだから、土に還して再び栄養にしてあげたいなと。皮や根っこもぎりぎりまで食べるから本当にゴミは少ないけれど、それでも捨てるしかないヘタなどは庭の畑に戻しています」
食べるという行為は、無意識にも多くのいのちと深く結びついている。自然環境、人、過去と未来とも繋がるその糸に気が付くと、自分自身とその暮らしは、大きな循環の一部であることを思い出すことができる。その感覚は、柔らかく大きな手の温もりのようでもあり、隠れていた罪悪感との対峙でもあるけれど、平凡な日々の襟を正してくれる、尊い喜びに他ならないと思う。(完)
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ロングインタビューにお付き合い頂いた清水さんご一家、ありがとうございました!
取材・文・写真/ "種と風広報舎" Chiaki Nakamori
]]>・お住まい:山梨県北杜市
・利用商品:宅配野菜 市内配達 定期便(週1回)
雪が静かに舞う1月のとある日、緑に囲まれた心地の良いリビングで出迎えてくれたのは、清水友保さん、莉奈さん、瑚々夏ちゃんご家族。友保さんと莉奈さんは共に山梨県北杜市出身。北杜市内にある美容室とアロマトリートメントのサロン「sora et ATELIER」を営んでいる。
二人がフウシカオーガニックの森夫妻と出会ったのは、5年前。娘の瑚々夏ちゃんが保育園で最初に仲良くなったのが、森夫妻の長女 千晴ちゃんだった。それから親同士で話す機会が増え、それぞれの仕事や興味など様々なことを交わす中で、子どもの食の安全や環境危機にかける森夫妻の思いと、野菜づくりへのこだわりに深く共感し、3年前から宅配野菜の定期便を愛用している。
二人が日々の食生活にフウシカオーガニックを取り入れるまでに、どんな経験や思いがあったのか。そして実際に宅配野菜を利用して感じていることを、2回に分けてじっくりご紹介したい。
「都会の美容院って、お店の空間がどれだけ心地よくても、窓の外にはビルや人混み。その場その瞬間は癒されても、一歩外に出たら現実に戻る。そうではなくて、八ヶ岳の豊かな環境とお店がひとつながりになった、自然の一部のようなサロンが作りたい。窓越しに触れる自然な色彩、待ち時間も含めてリラックスできる環境。全身で感じる空気と水、サロンを出た先にある日々の食生活まで、全て含めてこの地の豊かな自然と共にあるサロンを形にしたい。それが私達の思い描いていた夢でした」
「見てください、僕の手。今使っているハードスプレーもワックスも、全て天然素材で出来ています」と、開いて見せた友保さんの掌は、一日中カラー剤やシャンプーに触れているとは思えない艶やかさ。「sora et ATELIER」に込められた二人の思いは、サロンで提案しているシャンプーなどのヘアケア商品にも表れている。極めて高い生分解性のカラー剤やパーマ液を選ぶのは勿論のこと、瓶やアルミなどの再生可能な容器や、オーガニック認証のとれたハーブを使用した商品など、環境に配慮されたブランドを取り入れている。「僕が美容学校で学んだのは、ケミカルな知識とそのメリットばかり。でもあることをきっかけに、これではだめだなと思った。都内にはコンビニの4倍もの美容院があるんです。その全てが、自然界で分解されないパーマ液やカラー剤を流していたら…。美容業界が環境汚染に与える影響は大きい」と友保さん。「自分自身がどんなに綺麗になったとしても、そのせいで苦しむ人がいたり、自然が汚されたりするのは心地良いことではない」と莉奈さんも続ける。
友保さんは美容師という職業柄、食事も休みも不定期。インスタントな食事を繰り返すうちに体調を崩した時があった。「18の頃の自分はひどいです。よく生きていたなと思う」と苦笑する。病院にも通うようになり、身を以って食べることの重要性を知った。その頃、口にする食べ物や身体に触れるものがどう自他に影響するのか、知識を深めてサポートしてくれたのが莉奈さんだった。それから少しずつ、健康であるために必要な食のこと、地球環境への影響についても二人で理解を深めていった。そして5年前に瑚々夏ちゃんが産まれたことで、より一層食の安心安全、未来への責任を考えるようになる。
フウシカオーガニックと出会う前から、地元の野菜や有機野菜を出来るだけ選んでいたという二人。売り場で野菜を見る時は、パッケージや野菜から受けるエネルギーを感じて選ぶようにしていたと言う莉奈さんにとって、フウシカオーガニックとの出会いは運命的だった。「素敵な二人が作っている野菜。味だけでなく、二人が大切にする背景も含めて全て共感し、信頼できるものでした。小さな子どもと暮らす生活では、口にするもの全てを吟味することは難しいけれど、身体づくりの基になる家で食べる野菜なら、まるごと自分たちの意志で選ぶことができる。心から安心して、こどもに食べて育ってほしいと思うもの。それが森さんのつくる野菜でした」
週一回の宅配野菜は、莉奈さんが保育園のお迎えの際に森薫さんから受け取る。その時点でコンテナに詰まった野菜たちが活き活きとエネルギーに満ちているのがわかるという。その中に瑚々夏ちゃん大好物のトマトがあれば、待ちきれずに帰りの車でぱくぱく食べる。洗わなくても、そのまま安心して食べられる野菜。ついさっきまで大地と繋がっていた無農薬のトマトは、思いっきり遊んだ身体にはさぞ美味しいことだろう。
「その日は僕が仕事から帰ると、食卓がフウシカの野菜でいっぱい。“今日はちいちゃん(森さんの長女)ちの新鮮野菜だよ!”って莉奈が嬉しそうに教えてくれて、3人でもりもり食べます」と友保さん。「同じ野菜でも色や形にすごく個性があって、それが本当にかわいい。薫ちゃんから野菜を受け取った日は、キッチンがフウシカの野菜でいっぱいに。その野菜を眺めてご飯を作ることが毎週の楽しみです」と莉奈さんも続ける。野菜売り場に並んだ生産者の名前や顔写真、小さなラベルの情報だけでは、実際の栽培環境や作り手の思いなどわからない部分も多い。だけど森さんだったら、タネのこと、土や水、環境にかける思い、プラスチックごみの削減など、様々なことに信念を貫いていることを知っている。「食卓に並んだ野菜を見ると、フウシカの畑の情景がぶわーっと目に浮かぶんです。こんな物語のある野菜なんて、他にはないです。この魅力は、僕らにとって価格以上の価値がある」
〈続けて後編を読む〉
取材・文・写真/ "種と風広報舎" Chiaki Nakamori
黄金に色付いたカラマツの葉が空を舞い、道の脇にこんもり積もったら、八ヶ岳山麓は早々と冬支度に入る。今夏から始めたフウシカオーガニックの宅配野菜は、気付けば季節を3つ巡った。2週間に一度届く楽しみも、大地が凍てつく冬の到来と共にお休みに入る。昨日、森さんから今期の最終便を受け取った。
「畑で根を張っている間は、寒さから身を守ろうと自らの力で糖度を増すんだよ。そうして凍らずに頑張った野菜たちはすごく甘くておいしい」と、森さん。白菜、大根、人参、蕪、小松菜にほうれん草…。青く澄んだ空に、エネルギーに満ちた野菜たちの甘く瑞々しい香りが広がる。
季節と共に鮮やかに移り行く、豊かな自然からの贈り物。届いた段ボールの封を開けると、個性輝く命が不揃いに並んでいて、エネルギーのようなものが溢れ出てくる。その野菜たちを眺めているだけで、なんだか元気が湧いてくる不思議な感覚。毎回届くのが楽しみで、娘と一緒にわくわくしながら開けていた。
土と共に生き、作り手に愛された滋養あるフウシカの野菜たち。彼らと共に過ごす私の台所仕事は、純粋にうれしくてたのしい。それぞれの美味しさを大事に味わいたくて、どう調理しようかと野菜たちと対話している時、一人台所に立つ私に孤独感はない。
秋のある日に森さんの作業場を訪ねた際、収穫したさつまいもを一つずつ手で磨き、周りの土を落とす作業を拝見した。水で洗うと傷みやすく保存が効きにくくなるのだそう。スーパーで見かける土の付いていないさつまいもは、特殊な機械を使って土を落としているようだが、そういった設備のない小さな農家さんでは地道な手作業が欠かせない。
一つの野菜が私の元へ届くまでに、一体どれだけの仕事があり、人の思いが貯められているのだろうか。山麓に暮らしているからといって、農が暮らしの一部になっているわけではない私の暮らし。フウシカオーガニックという信頼できる農家さんと出会い、気軽に訪ねられる関係だからこそ得られる気づきであり、喜びだ。
今日は冬至。一年で最も陽の短い今日を境に、夏至に向かってエネルギーは再び蘇るそうだ。日常の感覚とは離れた目には見えないところで、自然界は常に循環している。畑は凍てつき、ここからは保存食の出番だけれど、季節は確かに巡っている。つい一年前は床を這っていた娘が、自分の足で歩き、あれがしたいこれはいやと、冒険に満ちた日々を生きている。その姿があまりに愛おしく、ついつい寄りかかってしまうけれども、私もまた、自分の内から放たれる光を見逃さず、エネルギーの手綱をしっかりと握っていきたい。
written by Chiaki Nakamori
]]>小さな子どもと一日暮らしていると、自分が自由に使える時間は限られている。そんな中で栗を拾ってきて剝いてみたくなるのは、なぜだろう。散歩の途中にどんぐりを拾い集めて、家に帰っても小さな掌で温める娘を見ているからだろうか。
1歳半の娘から目を離さずに、栗を剥くなんて大変そう。居間で一緒にやれば包丁を触りたいだろうし、台所に立ってやれば時間がかかって泣くだろう。そうやって自分にとって都合の良くない想像ばかりが浮かんで、面倒なことを避けようとする自分に少しうんざりしていたのかもしれない。後のことは薄らぼんやりと覚悟しつつも、やってみなければ出会えなかった小さな成果を認める。それが未知の塊である子どもと暮らす楽しみなのかもしれない。
金曜日、フウシカオーガニックの宅配野菜が届いた。娘は箱の中を覗き込み、そこに広がる豊かな色彩に手を伸ばす。指の力を加減できるようになり、トマトは潰さず持てるようになり、茄子は両手で抱えて得意気。茄子のヘタはちくちくしていること、人参にはふさふさとした細長い葉っぱがあること。触れてみなければ知り得なかったそれぞれの素顔を、娘は静かに感じていた。
食には、ただ口に運んで「食べる」だけでは終わらない奥深さがあると、最近つくづく思う。どんな環境で生まれて育ち、誰と共に季節を超え、今この瞬間に実りを迎えているのか。大地と人と繋がった、そんな物語に触れたとき、食べる喜びと楽しさは何十倍にも膨らむ。
栗を拾って剥くような、手間をかけて暮らしたいと思うのは、私もまた、物語を繋いでいく一員になりたいのかもしれない。娘が転がした栗を拾っては剥きながら、そんなことをぼんやりと考えている。
written by Chiaki Nakamori
]]>「2022年10月初 FUUSHIKAorganic宅配野菜 Mサイズ」
・トマト(固定種) メニーナ
・中玉トマト(固定種) アミーゴ
・茄子(固定種) 真黒茄子、イタリアナス
・ピーマン(固定種) カリフォルニアワンダー
・ズッキーニ(固定種) UFO ズッキーニ、白ズッキーニ
・キュウリ(神奈川在来種) 相模半白胡瓜
・インゲン(固定種) アルプス
・ニンジン(固定種) 国分鮮紅大長人参
・じゃがいも きたあかり
・からし菜(固定種) リアスカラシナ
・ししとう(固定種) ピッコロししとう
topics:「国分鮮紅大長人参」
群馬県高崎市の伝統野菜。60~80cmになり、スコップでしか彫り上げられない。色鮮やかで甘みと香りが強く、加熱するとさらに旨みが増します。
letter from FUUSHIKAorganic
第1話は、「タネのちから」。
]]>第1話は、「タネのちから」。
9月も終わりだというのに、勢い衰えない暑さの正午、森さん夫妻は畑近くに作業場として借りている小さなお家で、暫しのお昼休みをとる。さっきまで大地と繋がっていた正真正銘の採れたて茄子やピーマンは、薫さんがごま油で手早く焼いて醤油をひと回し。トマトとキュウリは塩とオリーブオイルでサラダに仕立ててくれた。
「よかったら食べて~」という薫さんの言葉に甘えて、一口いただく。素材本来の旨みがじわじわと伝わってきて、その美味しさに満たされる。ただ切っただけ、炒めただけと薫さんは笑うけれど、手をかけ育んだ我が子の持ち味を、親はちゃんと知っている、そういう温かな美味しさだった。
森さん夫妻の一日は、お天道様と共に始まる。日ごとに変わる出荷先に合わせて、パズルのように仕事が組み立てられている。野菜の瑞々しさをそのまま届けたい宅配野菜は、朝採りにこだわる。特にフウシカ自慢の茄子は朝採りが欠かせない。そして出荷の合間や早朝、夕方に必ず行っているのが50種類にも及ぶ野菜のお世話だ。それぞれやり方に違いはあるが、一貫していることがある。それは、それぞれのタネに寄り添い、余計なことはしない、ということ。
フウシカオーガニックの畑では、農薬や化学肥料はもちろんのこと、動植物由来の有機肥料も外から持ち込まない。種を蒔いた後、苗を植えた後、個々の成長に合わせて幾度も手を添えるが、畑の土づくりはしない。野菜のいのちは、そこにある自然環境と、苗自身のちからが育むのだという。
そして、時を同じくして共に育った雑草も除け者にしたりしない。なぜなら雑草には、その地の多様性を守り、畑の保水に大切な役割があるからだ。必要により刈る時も、伸びてきたらすぐ刈るのではなく、実がつくのを待つことで土に栄養をもたらすという。
「森では人が土を作ったりしないですよね。そこにある環境と、その地に住む微生物と植物の循環でプラスになり続けていく。難しいこともあるけれど、フウシカの畑は、森がお手本なんです」と隆博さん。
隆博さんは続ける。「タネが持つ生命力を100%引き出すことができれば、実は成るんです。それを150%引き出そうとするから、あれこれ策が必要になる。でも、それって不自然ですよね。たとえ成功して豊作になったとしても、作り過ぎれば捨てることになる。環境負荷を減らすためにもできるだけ余計なことはしたくないなと。そもそも農業には、種まきの時期や収穫の時期、環境との相性など、タネが100%の力を発揮するのにマイナスになる要素がたくさんあるから、それを見極めて適切に手を添えることが僕の役割。それを50種類全てでやることが本当に難しいんです」。
取材の帰りに「今週の宅配野菜ね!」と、段ボールからはみ出た野菜セットを手渡してくれた。その、形も色も様々な野菜たちを見て思う。フウシカオーガニックの野菜づくりは、なんだか子育てと通じている。それぞれの生き様を丁寧に見つめ、時に見守り、時に手を差し伸べる。そう思うと、同じ野菜でもこれまでとは違った風に見えてきて、なんだかとても尊い存在に思えた。
「タネは、始まりにして終わりなんです。野菜だって人だって、そのままでいい」。
隆博さんがぽつりと放った言葉は、清々しい風となって私の背中を押してくれた。
written by Chiaki Nakamori
]]>セミの合唱に残暑を味わい、日暮れ後は秋の虫が奏でる涼やかな音色。八ヶ岳に訪れた束の間の盛夏は静かに過ぎ行き、秋雨前線がやってきた。寝相が激しい娘には掛布団はあってないようなもので、寝間着に何を着せようかと悩ましい今日この頃である。
2週間に一度、自宅に届くフウシカオーガニックの宅配野菜。箱を開けると、今日は小さなお花が添えられていた。森さんからのメッセージが添えられている時もある。
金曜日の朝に訪れる、ささやかな喜びのひと時。
宅配野菜のラインナップは、四季の移り変わりに呼応して色鮮やかに遷移していく。
一度食べてその美味しさに驚いた、フウシカオーガニックの一押しの真黒(しんくろ)茄子は見事に太り、トマトなんて、はち切れんばかりに実を熟していた。そして今回気になる存在になったのが「ダビデの星」という名の爽やかな黄緑色のオクラ。
私はオクラといえばお浸しだけど、湯がくなんて忍びないと思うほど、肉厚で堀が深い。さてどうやって食べさせていただこうかしら。ここは農家さん直伝が間違いないと信じ、森さんに相談。「お勧めは食感をまるごと味わえるグリル!」とのことだったけど、どうしても断面を見てみたくて厚切りに切る。一緒に届いたUFOズッキーニや真黒茄子と共に油と塩を絡めて、上からパラっとチーズをかけてオーブンに突っ込んでみたら、これが最高に美味しかった。
ぽりぽりとした食感が癖になる相模半白胡瓜は、味噌をちょいと載せてそのまま食べても、ごま油と岩塩にほんの少しお醤油を垂らしても、本当に美味しい。
↑「ダビデの星」の断面は美しい文様。
フウシカの野菜と暮らすようになり、私の料理は以前よりもシンプルなものが増えた気がする。
お日様と雨、風、無数にある命を育み生きる畑。そこに息づく命と共に、作り手に愛され、逞しく育ったフウシカの野菜たちを、まるごと美味しく食べたい。あれこれ調味料を掛け合わせたり、肉の旨みを借りたりしなくても、ほんの少しの味付けだけで、囲む食卓は満たされる。
それは、いわゆる「時短」にも繋がるのだけど、ただ手抜きができて嬉しいな、とは少し違う。森さんから届いた野菜たちを見つめて、「さて、どうやっていただこうか」と思いを巡らせている時が、なんだかとっても豊かで嬉しいのだ。検討の結果、今回もまた塩と油で結構、という結論になって、手が空くことが多いわけだけど(笑)。
持ち味を活かす、ということ。
いのちに感謝と敬意を忘れない、働きができる人でありたいな、と思う。
↑宅配野菜、開封後。紙類はすべて資源に戻す。プラゴミは一つも出ない。
written by Chiaki Nakamori
]]>「2022年8月末 FUUSHIKAorganic宅配野菜 Mサイズ」
・トマト(固定種)メニーナ
・中玉トマト(固定種)フランムトマト
・ミニトマト(固定種)ステラミニ
・茄子(固定種)真黒茄子、イタリアナス
・ピーマン(固定種)カリフォルニアワンダー
・ズッキーニ(固定種)UFOズッキーニ
・キュウリ(神奈川在来種)相模半白胡瓜
・インゲン(固定種)アルプス
・オクラ(固定種)ダビデの星
・ニンジン (交配種)ベターリッチ
・ニンニク
topics:「相模半白胡瓜」
日本の定番キュウリであり固定種である相模半白胡瓜は、色が半分白いのが見た目としての特徴です。青臭さがなく、爽やかなシトラスみたいな甘みと酸味。夏に丸かじり推奨。レモンや柑橘との相性も抜群で、薄めにスライスして塩でさっと揉み、レモンを垂らしかけると、さわやかさアップ。
letter from FUUSHIKAorganic
今日は金曜日。フウシカの宅配野菜が届く日だ。
娘はもう知っている。その少しひんやりとした箱の中身のことを。
早く開けてと言わんばかりに、段ボールに貼られた宛名シールをほじって何か言っている。
「今日は何が入っているかな、楽しみだね。」
箱を開けた途端、今日もまた、小さな手に先を越された。
向かった先は、赤く輝くミニトマト。
前回の宅配で味を占めたご様子で、躊躇なく一口で頬張る娘。
どちらかというと食べ物には保守的と思っていたので、ヘタごと口に放り込んだ時にはびっくりした。
遅れて私も一粒食べて、2週間前とはまた違った味になっていることに驚いた。前回よりも、何かがぎゅっと詰まったような。酸っぱさよりも旨みが立って、草いきれを思わせる、夏の味。
それから段ボールの中を見渡して、少し慌てる私。
トウモロコシがいるではないか!この方々は鮮度が命。「朝、お湯を沸かして畑に行け。」だ。(それは枝豆だったかも?)どちらにせよ、善は急げ。娘のお昼ごはんを作りつつ、浮足立ちながらガスコンロにお湯を沸かす。
我が家、トウモロコシは、蒸す派。
初めて食べたフウシカのトウモロコシは、土のエネルギーを一粒一粒に蓄えたような野性味を感じた。ぎゅっと粒が引き締まり、甘みと共に濃い素材の旨みが口いっぱいに広がる。娘も生え立ての小さな前歯で懸命にかじりつき、いつまでもむしゃむしゃと離さない。
あとから森さんに農薬はもちろん肥料も使っていないと聞き、なんだか妙に納得。
初めて食べてファンになった、フウシカの真黒(シンクロ)茄子。
輝く濃紫の皮は薄く、フライパンで蒸し焼くと中はトロトロになる。2週間前に届けてもらったそれと比べると、ずいぶん大きく太った。スーパーで目にする野菜は一年中同じように形を揃えて並んでいるように思うけど、こうして宅配野菜を始めて、同じ野菜でもほんの数日で姿を変えることに驚く。
まるで目の前にその豊かな畑があるように、敏感に命の成長を感じることができる。
我が家の暮らしと食卓は、確かに大地と繋がっているんだなと、うれしく感動する。
夏が終わる前に、娘とフウシカオーガニックの畑に行ってみたい。大好きなトマトの畑を見て、娘はどんな反応をするのかな。そんなことを想像して、胸が躍った。
written by Chiaki Nakamori
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「2022年8月初 宅配野菜 Mサイズ」
・ケール・ミックス (全て固定種)
・トマト(固定種)メニーナ
・ミニトマト (ステラミニ)固定種
・茄子(固定種)真黒茄子
・キュウリ(神奈川在来種)相模半白胡瓜
・ズッキーニ(固定種)UFOズッキーニ
・インゲン(固定種)アルプス
・ニンジン (交配種)ベターリッチ
・とうもころし(交配種)キャンベラ
・じゃがいも きたあかり
・ピーマン(固定種)カリフォルニアワンダー
topics:「真黒茄子(シンクロ茄子)」
フウシカが最もこだわりのある野菜のひとつ。皮は薄く、やわらかく、食味抜群です。全ての料理に合います。しかし、その品質とのトレードオフとして成長が遅く不揃いで、病気にも弱いため栽培が難しいです。皮が柔らかいため傷つきやすく流通にも不向きで、スーパーや直売所でもほとんど見ることはありません。品種としての歴史は古く、現在よく見る千両なすの先祖にあたり、古くから日本で愛され大切にされてきた極上の茄子です。茄子の保存は濡らしたタオルやキッチンペーパーで包み、野菜室に入れてあげると長持ちします。
letter from FUUSHIKAorganic
段ボールの中で、小さく息をしている野菜たちに初めて触れたとき、私が感じたこと。
ひんやりと少しだけ湿った段ボールを開けた瞬間、目に飛び込んできたのは、美しいフリルをまとったレタスや、陰影と質感豊かなケールの葉っぱたち。それらをそうっとめくると、中で輝く茄子や可愛い姿のじゃがいも、ズッキーニたちと目が合った。
ビニール袋で個包装されていない彼らは、まだ少し土がついていたり、瑞々しい輝きを放っていたり、ついさっきまで大地と繋がっていた気配を伝えてくる。そこには、逞しく健やかな力が満ちていた。
はやる気持ちを抑えて、ひとつひとつの野菜を手に取り、確かめる。山や川を吹き抜ける爽やかな風と、朝露に濡れた瑞々しい畑の風景が目に浮かび、心地よい余韻を楽しんだ。
2022年7月。私は、森さんが手がけるフウシカオーガニックの宅配野菜を始めた。
本当のことを言えば、自分と家族が食べる野菜は、自分の手で育ててみたい。自分にとって心地のよい働き方、暮らし方を求めて、東京から八ヶ岳の麓に移住してから、ずっと憧れていたことだ。しかし、昨年の春に娘が産まれ、生活は大きく変わった。共働きで忙しく働いていた頃よりも、私が自由に使える時間は無くなった。玄関前の草取りさえ間に合っていないのに、自給自足なんてとても…。
そんな中、出産子育てをきっかけに新規就農し、環境再生農業を志す森さん夫婦との出会いに恵まれた。二人の溢れんばかりの想いに触れ、目指す未来に深く共感した。
「タネ、ヒト、ミライ」。
段ボールを開けた時、目に入ってくるフウシカオーガニックのメッセージ。
新聞紙と再生紙の小袋以外の、唯一の梱包材だった。
森さん夫婦と出会い、当然無理だと諦めていた「野菜の自給自足」を思い出した。子育てという尊い経験だからこそ、それを言い訳に、未来に繋がる暮らしを諦めたくない。
委ねる、ということ。
出産という経験が、私に教えてくれたことだ。一人でどうにかしようとせず、同じ未来を向いた誰かと手を繋いでみたい。固く閉じられていた「自」という枠が柔らかく広がり、急に肩の荷が下りた。パッケージで確認する地産地消とも違う。もっと温かくて、楽しくて、心地の良い人と人の輪。フウシカオーガニックと、そんな関係を楽しんでいけたら最高だ。
私の小さな暮らし改革は、どんなワンダーを連れてきてくれるのかな。目の前でよちよち歩く小さな未来と共に、これからの日々を楽しんでいきたい。
written by Chiaki Nakamori
「2022年7月初 宅配野菜 Mサイズ」
・ケール・ミックス(全て固定種)
野菜の王様で全野菜の中で栄養価もトップクラス。茎は取り除いて、葉を細かく千切るのが一流レストランの料理の仕方。サラダや、油でグリルも実に美味しい。・レタス「ロロロッサ」「バターレタス」 (固定種)
赤いフリルが特徴的なロロロッサ。緑がバターレタス。春のレタスは綺麗で水気もあって美味しい。ロロロッサはシャキシャキ歯ごたえもよく、サラダの彩りや、サンドイッチに、緑のバターレタスは肉厚で味も濃く、サラダの主役や炒めにも。・茄子「真黒茄子」(固定種)
フウシカが最もこだわる野菜の一つ。皮は薄く柔らかく食味抜群。しかし成長が遅く不揃いで、病気にも弱いため栽培が難しい。皮が柔らかいため傷つきやすく流通にも不向きで直売所等でも殆ど見ることはない。・ズッキーニ(固定種)
メロンを連想する甘さ、生でさっぱり食すのもお勧め。煮崩れしないから炒め物やカレーにも◎かわいい外見とは裏腹の万能選手。・ニンジン 「ベターリッチ」(交配種)
少し早取りなので長細い円筒形。肉質固く、根・芯ともに濃鮮紅色。カロテン含量が多く、甘みがありニンジン臭が少ない。加熱調理のほか、ジュースや生食など。・じゃがいも「デストロイヤー」
今年度の新ジャガ。中身は少し濃いめの黄色。澱粉質が多く濃厚タイプ。さつまいもを連想させる柔らかな甘味としっとりとした質感は、塩のみでも十分。小さめなので丸ごとフリットがオススメ。・ニンニク「青森6片」
今年度の初物!昨年の厳しい冬を乗り越え育ってくれました。生ニンニクなので鮮度よく瑞々しい。無農薬のニンニクはほとんど手に入らない貴重な品です。フウシカの野菜は油と相性の良いものがあるので、ニンニクと一緒に調理して、香りをお楽しみください。
letter from FUUSHIKAorganic
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眩しい太陽と爽やかな風が心地よい5月末の日曜日、子供たちと一緒にFUUSHIKA ORGANICの田植えに参加させていただきました。田んぼに着いたとき、目の前に広がる光景を見て思い浮かんだ言葉は、「自由」と「平穏」。
壮大な山々に囲まれたこの空間はなんて美しいんだろう。
子供たちは泥だらけになって土手を駆けまわり、大人たちは座ってランチを食べたり、残った苗を植えたり。
日常生活とは明らかに違う、ゆったりとした時間の流れがそこにありました。
私にとっては小学校以来の田植え。子供たちにとっては初めての田植えです。
はじめは戸惑っていた子供たちも飛び跳ねるカエルを見てようやく泥に足をつけました。
素足に感じる泥の感触。苗の根っこの生命力。水路の水の冷たさ。五感が開放された子供たちの表情は本当に生き生きとしていて、自然と共鳴しているようでした。いつの間にか他の子供たちをお世話してあげたり、遊びを考えたりしている彼らを見ていると「不自然なものが何もない環境の豊かさ」をしみじみ感じます。
苗を植え終わった森さんの田んぼは、機械を使った田んぼに比べると曲がりくねっていて、それがまた愛おしい。
泥の中に佇んでいる小さな苗が10月には白米となって私たちの糧となることが奇跡のように感じました。
隣に広がる森さんの畑では女の子たちが野の花を摘んでいました。
これから宅配野菜として全国の家庭に届く野菜達もすくすく育っているようでした。
虫、アメンボ、カエル、キジ。畑と田んぼが作り出す生命の輪。オーガニックというのは単なる農法ではなく相互関係性であり、すべての生命のバランスと調和であることがこの小さな空間からも見えてきます。
今回一番印象に残ったのは、お母さんたちのまあるい、穏やかな笑顔です。
広々とした場所で子供たちを走らせる解放感。誰かが子供たちを見てくれるという安心感。
現代の抱える色々な問題を解決する鍵が、田植えの時間の中に散りばめられているような気がしました。
稲が実る季節、またこの場所に集まり、自由で平穏な時間に出会える日を楽しみにしています。
フウシカオーガニックの畑を見て子供たちが口にした言葉です。
“畑”と言われて子供たちが想像したのは、畝と野菜が綺麗に見える場所。でも、フウシカオーガニックの畑はどこからが畑の中でどこからが畑の外なのか分からないほど賑やかに雑草が生えています。
腰の高さほどもある草を掻き分けながら森さんが子供たちに話しかけます。
「ブロッコリーがどんな風に生えているか知ってる?」
「知らなーい」
濃い緑の葉の中に実るブロッコリーをひとりずつ収穫すると、子供たちの瞳が輝きました。
「採れたー!」「おいしそう」
ナス、ピーマン、ケール、インゲン、トウモロコシ、オクラ、バターナッツ。見たこともない不思議な形のUFOズッキーニ。自分の頭ほどもある、ずっしり重いスイカ。野菜を入れる籠がさまざまな形と鮮やかな色で埋め尽くされていきます。
足元にはカエル、チョウチョ、バッタ。生き物を発見するたびに声をあげて喜ぶ子供たち。
私たちが「雑草」「害虫」と呼ぶものが共存しているフウシカの畑は、彼らにとって最高のフィールドです。
整った環境で肥料や農薬を与えられ育つ野菜。
自然そのままの環境で生命力を引き出された野菜。
どちらにも良い点はあるけれど、畑で収穫し、洗わずにその場で食べられるのは何よりも素晴らしい体験だと思います。視覚、嗅覚、聴覚、触覚、味覚。五感をフル回転させてフィールドを歩く時間が、子供たちの感性に知らず知らずのうちに影響を与えてくれたことでしょう。
自分たちの手で野菜を収穫する喜びは、食べる喜びにもつながります。
家に帰って早速子供たちとフウシカの野菜をいただきました。
オリーブオイル、塩、チーズをかけて焼いたズッキーニのグリルはとってもジューシーで大好評。
バターナッツの冷製スープは、かぼちゃの苦手な息子も完食。
「タネ、ヒト、ミライ」。
子供たちと畑を歩き、野菜を収穫し、その命をいただいて、これまで以上にこの言葉が大きく心に響きました。種と未来をつなぐのは、私たち人間。どんなものを育て、どんなものを選ぶか?で、未来は変わっていく。森夫妻の育てる野菜は、私たちの行動ひとつひとつが新たな可能性を生むことをいつもさりげなく気づかせてくれるのです。
著者
平野 美穂
20代後半からサーフィンをはじめたことがきっかけで地球環境問題に興味を抱く。産休中に通っていた工藝店で民藝の器に出会い日本の手仕事について学びはじめる。三児の母となった現在は「美しい暮らしの良品yaora」を営む傍ら、セレクトショップで器のバイイングやライティングに携っている。
]]>好き嫌いは、野生だ
好き嫌いの感覚を持っているのは人間だけではありません。
自然界の動物は、病気になると自分の味覚や嗅覚等を使って、自分が食べるべきものを選んで摂取します。
食べる物の選択=命の選択といっても過言ではないでしょう。
では、どうやって自分の食べるべきものが分かるのか?
その判断基準こそが、“好き嫌い”という感覚なのです。
“好き嫌い”はワガママなんかではなく、動物として生きるために必要な“野生”という大切な能力。
文明社会に暮らしていると忘れられがちですが、私たち人間も動物です。
特に子どもの時期は、溢れんばかりの野生を持っています。
大人よりも子どもの方が、本能に忠実で好き嫌いがはっきりしている傾向にあります。
しかし、現代の日本社会では「成長、大人になる」=「好きなことをやらずに嫌いなことを我慢してやり続けられる」という、いわゆるのプログラムが暗に浸透しています。
自分の感覚を置き去りにし、溢れる情報や周りの意見ばかりを判断基準にしていると、だんだん“好きか嫌いか”や“心地良いか良くないか”といった自分の感覚が分からなくなり信用できなくなります。
すると、判断基準の軸が“自分”から、流れる情報などの“外部”へシフトします。
現代はあまりに色々な情報が溢れているので、これまた何を信用したらいいのかもう迷子状態!
こういう相談を度々受けます。
そういう時に私がお伝えするのは、「唯一絶対に正しいと言えることは、“絶対正しい情報はない”ということ」
全ての人に合う○○(食事法、食べ物、薬、運動、etc)というのはありません。
大切なのは、自分にとって必要かどうか。
そして、その判断をする最後のよりどころは、自分の“野生”なのです。
好き嫌いの感覚を鍛えよう
テクノロジーが進んだといっても、まだまだ未知のことの方が多い世の中。
加えて、近年の天災やコロナ渦などを初め、一寸先には何が起こるか全く分からないこのご時世です。
色々な情報が溢れている現代だからこそ、それらに振り回されないために意識的に野生や直感力を鍛えることが大切です。
では、どうやって直感力鍛えるのか?
キーワードは、“足し算より引き算”。
「何をする(とる)か」より、「何をしない(とらない)か」という視点で行動を起こすと、カラダが本来持っている力が上がり、自分にとって必要なものが見えてきやすいです。
食行動での例をいうと、以下のようなことがあげられます。
とてもシンプルなようですが、シンプルイズベスト、効果適面です。
お金も時間も手間もかからず、広い視野で見ると自分の身体にも自然環境にとっても優しい選択となるのではないでしょうか。
ぜひ、できそうなことからやってみて、自分の身体の変化に注意を向けて合う方法を選んでみてください。
日本の便利な現代社会では、便利さと引き替えに野生や直感力を使う機会が失われています。
だからこそ、“食べる”という日々繰り返している身近な行為、だけど本能を使う数少ない機会で野生を鍛えてみませんか。
好き嫌いを“なくす”ことではなく、“理解する”ことで自分のカラダを知り、カラダとコミュニケーションがとれれば、自然と自分で自分をケアできる人が増えるだろうなぁ。
これって、何だかワクワクしませんか。
好き嫌いはカラダからの大切なメッセージだと前編でお伝えしました。
「“好き嫌いをなくそう”は自分のカラダからのメッセージを無視することにつながる」
「食べ物を残さないことで食べ物は粗末にしないかもしれないけれど、引き替えに自分を粗末にすることにつながる恐れもある」
“好き嫌いをなくそう”という固定観念には、こういった一面もあるのではないでしょうか。
最後に大事なことをもう一つ。
嫌いだからといって、その食べ物を無下に扱うことはしないで欲しいです。
それは自分を大切にしていることとは違いますので。
これって、人間関係や価値観にも通ずるところがありませんか。
written by Yuko Hama
自然の中では、子供が描いた絵のような世界に出会うことがあります。自由さや雄大さを前にすると、安心感を抱き、心が軽やかになります。世の中の正解が窮屈に感じていた私のような人も、世界の多様性を自然から学び、未来への支えにできると私は思っています。
いま畑にいる私は、昔、スキューバダイビングのインストラクターをしていました。タンクを背負って、マスクやフィンをつけて海に潜るアレです。海の中は、ちいさな子供がクレヨンをむんずと握って好きな色で描いたような世界が広がっていました。
海の色は、透明、水色、青、緑、漆黒、、、1日でも同じ色はありませんでした。ピンクと黄色の可愛らしい魚から、目も顎も飛び出るおどろおどろしい顔の魚。黄金に輝くヒラメや、一瞬で体色がコロコロ変えるイカ。「こんなにも海の中は鮮やかで自由だったんだ。」その事実は、小さな頃の私に教えてあげたいものでした。
私は子どもの時、ドラえもんを水色に塗ったら「ドラえもんは水色じゃなくて青だよ!」と、保育園の友達に言われて恥ずかしくなった記憶があります。海は青、イカは白、タコは赤で塗らないと、「違うよー!」と言われてしまい、みんなで揃って色塗りは好きではありませんでした。なぜだか、いつも窮屈に感じていた子ども時代。ところがどっこい、たった水深30mまでの世界を知っていれば、きっと色塗りやお絵かきも好きになれたと思います。
海と似た発見を、畑にも覚えます。羽化したての愛らしい黄色のてんとう虫。瑞々しい緑をした蛙。自由に形を変える雲。オレンジ、赤、黄、白、紫…色も形も味も様々なニンジン。畑にいると、豊かな営みと正しい色や形がない鮮やかな生命を感じては、その発見に心が躍りました。
今の世は、親指1本でなんでも検索ができ、正解を手に入れやすい便利さがあります。でも、自然から得る体験は、いつだって楽しく、ハードな世を歩いていく人たちの糧や心の支えになると思います。この先も自然の中にいろんな色のクレヨンを選択する自由が在るよう、大地や時節を感じる野菜を育てたいと思います。
山から降りてきた清々しい風が、田んぼの上を吹き渡る5月。軽トラックで畑に着くと、森さんが野菜の発育状態を手で触りながら確かめはじめた。よく見る野菜から、あまり市場に出回らない珍しい野菜まで。2017年、山梨県の北杜市に移住し農業を学んだ森隆博(もり たかひろ)さんは、2020年に有機農家として独立し、現在は無農薬・無肥料で約100種類の野菜を栽培している。
森さんと歩きながら野菜の茎や葉をよく見ると、さまざまな虫がついている。
アオムシ、ミツバチ、テントウムシ、ニジュウヤホシ、アブラムシ
所々に穴の空いている葉を見て思わず心配になり「虫がついてしまって大丈夫なんですか」と聞くと、森さんは一向に焦る様子もなく「弱い苗は虫にやられてしまうけど、苗が強ければ大丈夫です」と教えてくれた。確かに一列に並んだ苗をよく見ると、大きくて艶のあるものと、下を向いて虫に喰われているものがあることに気づく。「すべての存在に意味があるので、なるべくそのままの状態を生かしたいと思っています。リサージェンスという現象もあります。」
初めて聞いたリサージェンス(resurgence)という言葉。もともとは復活、再生を意味し、農業においては、農薬散布により害虫とともに天敵も減ってしまい、害虫が再び増えてしまう現象を指す。自然の連鎖は、人間の目に見えないところで常に変化しながら絶妙なバランスを取っている。森さんは、雑草ですらその連鎖の一部だと言う。
「雑草の根は土を柔らかくしてくれます。全部除草してしまうと土が硬くなってしまい、根っこの周りにいる微生物が死んでしまったり土の中に蓄積されている炭素が放出されてしまうんです。耕すことにもいろんなデメリットがあるのでなるべく根は残すようにしています。」
そのお話を聞いて、生物学者・福岡伸一さんの著書「動的平衡」の一説を思い浮かべた。
「生命とは絶え間ない流れの中にある動的なものである。生命現象を、パーツ同士が絶え間ない流れの中で互いにバランスを取っている状態ととらえれば、外から操作的な作用を及ぼすとかえって全体を乱しかねない」
自然のバランスを極力保ちながら人間が少しだけ手を貸し、野菜本来の力を引き出す栽培方法は、体の免疫力を高める食事や東洋医学を思い起こさせる。症状のある部分だけではなく体全体を診るように、森さんは自然環境と畑全体のバランスを考えながら野菜を見守っている。
土を耕し、虫を追い払い、除草し、化学肥料を与えて育てる農法は地球にどんな影響を与えているのだろう?自然の連鎖を断ち切ることなく育った野菜を選ぶことは、自分の体に影響するだけではなく、地球全体のバランスにも影響しているのだろうか?北杜市の小さな畑で森さんの試みていることが、生命現象や地球全体の循環に繋がっていると思うと、無農薬・無肥料という言葉でしか捉えていなかった自然に寄り添った農法のイメージがみるみる膨らんだ。
オーガニックの本質や、スーパーで買う野菜の形が揃っている理由をまだはっきりと言葉にすることはできないけれど、森さんの言った「すべての存在に意味がある」という言葉のなかにたくさんの答えがあるような気がした。
written by Miho Hirano
]]>コロナ渦での移動を制限された生活の中で「農業ってやっぱり強いな」と感じた人は多かったのではないだろうか。種を撒けば芽が出て土に根を下ろし、実が私たちの糧となる。そんなシンプルなことがとても尊いと思える時間だった。
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オーナー・森隆博さん
「僕らの望む未来を実現する」
2020年、新型コロナウイルスの影響で私たちの生活は一変した。スーパーにたくさんの人が並び、人との距離を保ちながら食料品を買い求める日々。移動を制限された生活の中で「農業ってやっぱり強いな」と感じた人は多かったのではないだろうか。種を撒けば芽が出て土に根を下ろし、実が私たちの糧となる。そんなシンプルなことがとても尊いと思える時間だった。
2020年8月の上旬、FUUSHIKA organicから「野菜を送りました」という連絡がきた。昨年は梅雨がー長く、野菜が採れるのか心配していたところだったのでとても嬉しかった。届いたダンボールを開けると、中には彩りに溢れ、さまざまな形をした野菜が顔を見せた。一口食べて野菜の味の濃さに驚愕。このギュッと詰まった力強さは一体どこから来るのだろう。
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FUUSHIKA organic オーナーの森隆博さんが八ヶ岳南麓に位置する北杜市に移住したのは2018年。それまではアウトドアアパレルブランドのパタゴニアで働いていた。長年東京近郊に住み企業に属しながらも、いつかは独立し違う場所で暮らすことを考えていたという。
「2016年にパタゴニアが期間限定で長野県の川上村にオープンしたクライミングストアで勤務したことが北杜に移住したきっかけです。その時に繋がりのできた方たちが北杜周辺に住んでいたことも理由のひとつですが、何よりいつでもクライミングに行ける環境が魅力的でした。農業の繁忙期にはなかなか行けませんが、できることなら毎日通いたいくらい山が好きです。」
2015年にはネパールへ遠征に行ったというほクライミングにのめり込んでいた森さん。お話を伺ううちに、農業とクライミングにはいくつもの共通点があることが分かった。自然に合わせて行動するところ。リスクと向き合うところ。集中して時間を忘れられるところ。急な天候を読んだり、たくさんのギア(道具)を使い分けるところ。
「どちらも自分ひとりで没頭できるところが好きです。基本的にひねくれ者なので誰かにああしろ、こうしろ、と言われるのが苦手で(笑)。最初に就職したのはアニメーション業界だったのですが、当時も自分のプランで行動することが多かったです。」
「やっていることは全然違うのですが、アニメーションは根底に社会批判や風刺をするカウンターカルチャーとしての側面を持っていて、今もなお発展しています。そういう意味ではオーガニック農法も1960年代の高度成長への拒絶や反戦といった、時代の流れに対する反発、自然回帰や平和主義への要求と共に新たな広がりを見せたカルチャーとしての側面もあります。60~70年代に発展したクリーンクライミング*にもそういった側面が色濃くあります。今の世の中にアンチテーゼを投げかけたい気持ちがあるのかもしれません。」
農業をカルチャーという側面から見たことがなかったのでとても新鮮だった。オーガニック農法を単なる野菜の生産方法やブランドとして捉えるのではなく、自分のライフスタイルや社会と直結するカルチャーとして捉えた途端、オーガニックという言葉が壮大なものを表しているような気がしてきた。
「子供ができたことがきっかけで、自分の人生をどう生きるかというだけではなく家族を守りたいという思いが芽生えました。自分たちの愛する自然を残したい、安全なものを子供たちに食べてほしいという願いから、3年の準備期間を経てオーガニック農家として独立しました。今は安全で美味しい野菜をより多くの方に届け、農園を通して自然と触れ合う機会も提供したいと考えています。」
企業を辞めて移住し、オーガニック農家としてひとりで独立するのはとても勇気がいることのように思える。よほど今の農業を変えたかったのだろうかと思い聞いてみると、予想外の言葉が返ってきた。
「今ある農業を、いわゆる打倒するとか破壊するという気持ちは持っていないんです。自分が自然栽培や環境再生型の農業を選んだことはカウンターカルチャー精神に通じると思うのですが、そもそも日本の農業はひとりではできませんし、地域の農家さんとの協力が不可欠です。農の先人達と古くから存在するコミュニティーには大いなるリスペクトを感じます。脈々と受け継がれてきたその土地の伝統や歴史もあります。今あるものを批判するのではなく、”こっちの方がいいんじゃない?楽しいんじゃない?”という新しい選択肢を創造できたらいいな、と。」
既存の安全地帯に身を置くのではなく、既存のものを壊すのでもなく、時代や場所に合わせて流動的に自分だけのスタイルを構築していく。そんな強い意志が必要とされることを、森さんはフレキシブルに楽しんでいるように見える。
収穫したばかりの野菜。
「フウシカに関わりのある方たちと、僕らがどんな世界を望んでいるのか?真のオーガニックとは何か?を一緒に考えていきたいんです。」
迷いのない森さんの言葉が、届いた野菜の強い味と重なった。クライミングを通じて厳しい自然と向き合い、さまざまなリスクを乗り越えてきたからこそ野菜が本来持っている力を信じ、目標に向かって進むことができるのだろう。届く野菜を食べるだけではなく、農場に足を運び、フウシカと一緒に未来について考えていきたい。
*クリーンクライミング:世界のクライミングの中心地であったヨセミテで1940年代の開拓期以降に提唱されたできるだけボルトを使わないクリーンなクライミング。その後フリークライミングとして発展した。
written by Miho Hirano
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『好き嫌いをなくして、何でも食べよう』先日、ある小学校の近くを車で通りがかった時
、ふと目に入った標語。うーん、まだこの言葉は当たり前のように言われているのか…、
と思った私。皆さんも一度は見たり、聞いたり、誰かに言ったことがある言葉なのではな
いでしょうか。私も耳にタコができるくらい聞き、うんざりしてイカのような目になって
きたうちの1人です。
子どもの頃、大人にこの言葉を言われる度に私は子どもなりに反抗していました。
「おばあちゃん、ヨーグルト酸っぱいって言って食べんやん」
「お母さん、練り物好きでおでんに練り物ばっかり入れるやん」
「お父さん、ポテトサラダは喉に詰まるって言って食べんやん」
そうすると、またお決まりのように言われる「好き嫌いがダメ」な理由が返ってきました
。
母:「栄養バランスが偏るから健康に悪い」
祖母:「嫌いだからと食べ残すのは作った人に失礼だし、食べ物を粗末にするということ
だから悪いこと」
私はどーも納得がいかなくて、さらにナンデナンデを繰り出す。私に納得いく理由を説明
できない彼女たちは「ぐぬぬ…」と言葉に詰まり、最終的に「ダメなもんはダメ!」と力
技で押し切る。これが事あるごとに何度も繰り返され、こりゃダメだと思った私は、次第
に反論は内心に留めるように。
こんな経験から、やがて食に興味を持ち、管理栄養士の道を目指した私。その過程でも「
好き嫌いはダメ」とその理由の固定観念を、セットでこれでもかというほど見聞きしまし
た。というか、栄養学の知識があればあるほど「栄養バランス」と言う傾向があるんです
よね。
でもね、やっぱり納得がいかなかった。「カラダにいいから万遍なく食べなきゃ」「残し
たら悪いから全部食べなきゃダメだ」って考えて食べるなんて、すごく息苦しい。頭カッ
チカチになります。こんな状態になる方が心にもカラダにも不健康、本末転倒。
「何のための栄養バランスじゃーいっ。」
食を栄養学だけからみると視野が狭くなる。私はその後、治験 ※1 という製薬/医療分野の仕
事を経て、アーユルヴェーダ ※2 や薬膳 ※3 を学び、色々な視点から「好き嫌いはダメ」とその
理由を考えました。
結論は「好き嫌いはあってもいい!」どうして音楽やファッションに好き嫌いがあっても
いいのに、食に限って好き嫌いがあってはダメなのでしょうか。
「好き嫌いをなくそう」は、「みんなと仲良く」という観念に似ているなぁ、と思います
。共通点は軸が自分にないこと。人間関係で仲がいい人、合わないなぁという人、いませ
んか。その基準って自分と相性ではないでしょうか。食べ物の好き嫌いも同じ。皆の体質
は同じではありません。
体質には生まれもったもの(先天性)と、生活環境によるもの(後天性)があるので、人
によって季節や気候、年齢で体質は変わります。つまり、カラダは環境に適応しようと常
に変化していて、必要なものと不要なものは変わり続けているということ。そのことをカ
ラダは「好き嫌い」という感覚で教えてくれます。そう、好き嫌いはカラダからのとって
も大切なメッセージなのです!
※1治験:新しい「くすり」が国の承認を得るために、安全性や有効性を科学的に確認する
ために行う臨床(=人を対象とした)試験のこと。
※2アーユルヴェーダ:インド発祥の5000年以上の歴史を持つ伝統医学。「生命の科学
」「生命の知識」を意味し、予防医学・治病医学にとどまらず、高度な生命哲学としても
注目されている。
※3薬膳:伝統医学の一つ、中医学では「気」「血」「津液」の3要素からカラダは構成さ
れており、そのバランスが崩れると不調につながると考える。その理論に基づいて、アン
バランスな状態を食材で調整し、バランスの取れた「中庸」の状態へ体を戻す、という食
養生の方法。
written by Yuko Hama
フウシカ・オーガニックの畑を訪ねたときに聞いた地力(ちりょく)という言葉が耳から離れない。言葉の意味は「作物の収穫をつくりだす土壌の能力」。土の豊かさとも言い換えられる。
フウシカ・オーガニック代表の森さんとお話するまで、農業における土壌の能力は人が作り出すものであり、土を耕し、多くの肥料を与えるほど美味しい野菜が収穫できると思っていた。でも森さんが行っているのは無肥料の自然栽培。土もなるべく耕さず、その土地が本来持っている力を引き出すのだという。それを聞いて、私の好きな民藝の器を思い浮かべた。
民窯(みんよう)と言われる、日本各地に残る伝統的な窯ではその土地の近辺で採れる土を使っている。釉薬の材料にその土地の植物や鉱石が使われることも多い。その特徴が器の「味わい」であり、「個性」でもある。個性のあるものは文化となって根付いていく。
東北最古の焼き物といわれる福島の会津本郷焼では、現在でも「鰊鉢(にしんばち)」と呼ばれる鰊の山椒漬けを保存するための陶器が作られている。海から遠く離れた場所だからこそ必要とされた器だ。
「やちむん」で知られる沖縄の焼き物には泡盛にまつわる酒器が多く見られる。日々の生活や神事においてどれだけ泡盛が身近なものであったかがよく分かる。釉薬にはサンゴやガジュマル、沖縄の一部で採取されるマンガン等の鉱物が使われている。
やちむんと並び人気のある小鹿田焼(おんたやき)。今でこそお皿などの日用雑器で知られているが、かつてウルカと呼ばれる鮎の塩辛を漬ける小さな壷が多く作られていた。商人が馬にたくさん壷を載せて運べるよう、なるべく薄く作って欲しいと注文したのが薄くて軽い器になった所以と言われている。そんな風に日本には驚くほど多彩な焼き物が存在していて、その特徴は自然環境や歴史と密接に関わっている。
同じようなことが日本の野菜にも言える。例えば大根は北から南まで、風土によって様々な種類が存在している。東北の寒さの中で育つ大根は凍ってしまわないよう、極端に水分が少ない。一方、最も大きな大根として知られる桜島大根は、海に囲まれて冬もあたたかい気候と、火山灰を含む柔らかい土壌により水を多く含み、大きく育ってもみずみずしくいただける。他にも亀戸大根、小田部大根など味も見た目も個性的な大根が育てられている。
古来種や伝統野菜と呼ばれる野菜の味が濃いのは、野菜を育てる過程で風土の特徴が凝縮されるからだろう。大量生産の野菜は人間がコントロールする部分が大きく、規格が決められているので味も見た目も画一的になる。現在の市場に占める古来種野菜の割合はわずか1%。人口を支えるために必要なことだったとはいえ、何百年もかけて培われた個性はライフスタイルの変化によりたった数十年で失われてしまった。それでもまだ森さんのように、土の力を信じて種を未来に繋げようとしている農家さんがいる。フウシカの不揃いな野菜を小鹿田焼の大皿に並べた時、本当に美しいと思った。大皿の迫力に負けない野菜の個性がそこにあった。
風土というのはその字が表す通り、そこに吹く風と積もる土が織りなすものだ。何百年、何千年という時の中で風土は形成される。私たちの身体のどこかにも、長い時を経て研ぎ澄まされた感覚や美しいものを見分ける力がきっと受け継がれている。季節の移ろいとともに生き、もののあはれを知る日本人独特の感性。その感覚や力を呼び戻してくれるのは、日々食べるものの味や目にするものの美しさかもしれない。
あらゆる生命とともに土が豊かさを取り戻すように、私たちもバランスを取り合って豊かさを取り戻せたらと願う。
written by Miho Hirano
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