FUUSHIKA user interview -"way to organic life"#2

navigator#2 佐藤健一さん、玲子さん、プリン・クリス・シルク(3匹の愛犬)

・お住まい:山梨県北杜市
・利用商品:宅配野菜 市内配達 定期便(隔週)


庭ではヤマボウシの花が咲き、新緑の山野草が初夏の訪れに背を伸ばす。眩しい陽が降り注ぐ梅雨入り前のとある日、フウシカオーガニックの森夫妻と共に訪れたのは、畑からほど近い佐藤健一さん、玲子さんのご自宅。招かれたリビングでは、プリンとクリスが床に寝そべってお昼寝。テラスでは新入りのシルクが外の様子を伺っている。こんがり日焼けした森さんが抱えてきたのは今期最初の市内配達。黄色い花を咲かせた春菊のブーケと共に、ケールやレタス、カブやじゃがいも等の賑やかな仲間たちがキッチンに届けられた。

移住、そして再出発

「あの日もちょうどこんな陽気の日でした。最後の桜とスイセンが咲いていて、目をやると南アルプスと八ヶ岳。こんなところに住めたらいいねと二人で辺りを散歩してね」と話し始めたのは、10年前、佐藤夫妻が小淵沢に移住するきっかけとなったある日の話。渋谷でファッションの教員をしていた玲子さんに届いた、とある展示の招待券をきっかけに、5月の連休に訪れた小淵沢高原。開館より早く着いたので美術館の駐車場に車を停め、たまたま散歩した小道で、二人の心は動いた。その日を境に週末ごとに訪れるようになり、月末には今の土地を購入。着想から1か月にも満たない、言うなれば無計画と言ってよい決断に我ながら驚くけれど、10年の月日を経た今に後悔はなく、この直感は間違いではなかったと、二人は朗らかに語る。

「(激務で)平日に家で晩御飯を食べる日なんてなかった。このまま続けていたら、絶対に体を壊すと思っていました」と、当時を振り返る玲子さん。夫婦ともに多忙を極めていた仕事のこと、高齢で一人暮らしをしていたお父さんのこと、海外で独り立ちを始めた娘さんのこと。三つの針がぴたりと重なり、ごく自然な流れで1つの道が開けた。「父が反対したらやめようと思っていました。だけど父は一緒に来てくれた。介護といっても、どちらかの生活を犠牲にしたり遠慮し合ったりすることはしたくなかった」と玲子さん。移住後の生活に、何か明確な希望があったわけではない。ただ、この場所でお父さんと一緒に暮らすこと、仕事を辞めること。2人が決めていたことはその2つだけだった。

皆が初めての場所で、3人並んで再出発した小淵沢での暮らし。辺りに野生が息づく環境で、朝日を浴び、季節を肌で感じる中で、90歳を過ぎたお父さんはだんだんと前を向くようになっていった。家の前の急坂を毎日散歩するようになり、決まった休息場所ではご近所の方との会話を楽しんだ。自然と人が和やかに息づくこの地で、お父さんと3年半共に生活できたこと、この場所をお父さんがとても気に入ってくれたことが、本当に良かったと玲子さん。

紡がれた縁、投じる想い

小淵沢に移り住み、穏やかに暮らしを営む佐藤夫妻。二人はいかにしてフウシカオーガニックと出会ったのか。時間を30余年巻き戻し、その物語を始めよう。

「この青い海と青い空はいつまで続くのだろうと、ふと思ったんです」

子どもが産まれ、家族と共に見た景色の中に浮かんだ問いだった。短大の准教授から専門学校の教員と、長年ファッションを教えてきた玲子さん。煌びやかな流行の裏で、地球にどれだけの悪影響を与えているのだろう。良いものが生まれ、皆が気に入ってくれたとして、それでも残ってしまうものは一体どこへ行くのか。30年前は、まだ誰も気に留めていなかったファッション業界の裏にある様々な環境・社会的課題。それらのことに目を向けずに、生産と消費を促す教育を続けていいのだろうか。ある日突然降りてきた問いに、これから向き合う使命が見えてきた。

しかし自分で勉強してみても、当時の教育現場には、これらを教える前例も既存のテキストもない。そこで助けを求めた先が、時代に先駆けて環境の取り組みを進めていた企業だった。各所に問い合わせた中で、快く応えてくれた一つが、森隆博さんの前職であるアウトドアブランド「パタゴニア」。綿はどうやって生産されているか、衣料に使う染料が川や海に与える影響とは何か。勤め先から近い渋谷ストアには足繁く通い、営業時間外の店舗で課外授業に協力して頂いたり、イベントを共同開催したりするまでに発展した。パタゴニアが教えてくれた事実と実践は、玲子さんの目指す教育を少しずつ形作ってくれた。玲子さんは、当時窓口となって熱心に対応してくれたスタッフだけでなく、パタゴニアという会社が真剣に課題と向き合い、利益度外視で協力してくれたことに大きな感動と信頼を覚えたという。

こうして築かれたパタゴニアとの縁は、教員を退職後も続く。移住して数年が過ぎた頃、自宅から近い長野県川上村に期間限定のパタゴニア川上店が出来たのだ。そこには奇遇にも、当時渋谷ストアでお世話になった方が転勤となっていて、嬉しい再会を果たした。それからは頻繁にパタゴニアの仲間を自宅に招いては、お酒を片手に楽しい時を過ごしていたという。そしてその席にいた一人が、近い将来フウシカオーガニックを築く、当時パタゴニア川上店勤務の森隆博さんだった。その後川上店は閉店となったが、佐藤夫妻と隆博さんとの交流は続き、就農のためパタゴニアを退職したこと、修行を経てフウシカオーガニックとして独立したと聞いた時には、すぐに応援することを決めた。

森さんナスと森さんかぼちゃ

森さんの熱意とビジネスを少しでも応援したい。これまでずっとファッションを通して行動してきたけれど、今度は野菜を通して何かを投じることができたら。そのことには健一さんもすぐに快諾してくれた。

「森さんの野菜は、食べると畑の情景が目に浮かぶんです。背景まで知っているからかな。他で買ってきた野菜だとそうはならない。意識の中で、野菜作りに参加させてもらえる。それから、僕が子どもの時に食べていた野菜の味がします」と健一さん。福島の田舎で育った健一さんは、小さな頃から地域の伝統野菜を飽きるほど食べてきた。忘れかけていた土の味。記憶の香りを呼び起こしてくれたのは、フウシカオーガニックの野菜だった。

健一さんは小淵沢に移住後、それまで趣味で続けていたそば打ちを本格的に仕事として始めた。以来9年勤めている「そば処三分一」では、地産地消を大切にしたお店のコンセプトとフウシカの野菜づくりが合致し、独立後すぐにナスとかぼちゃの仕入が始まった。今ではお店のスタッフは皆「森さんナス」「森さんかぼちゃ」と呼んで、その美味しさを喜んでいるという。「切ると瑞々しさが全然違います。それから野菜をとても丁寧に扱う森さんの手元には、見習うものがあります」と健一さん。それを受けて隆博さんは応える。「就農したばかりの農家が卸先を決めるのはとても大変なこと。でも健一さんは温情でお店に薦めてくれた。そのおかげで、今の僕が一番自信をもって作れる野菜がナスになりました。本当に感謝しています」

小さなカブが教えてくれる、“ふつう”のこと

ご自宅には、2週に1度森さんが宅配野菜を届ける。前の週で使いきれなかった野菜があれば、これは別の方にどうぞ、とその場で返したり、サラダが好きな娘さんが帰省する週には葉物を多めに入れてもらったりと、作り手との会話を楽しみながら、柔軟に対応していただけることが嬉しい。

フウシカの宅配野菜を始めてから変わったことを聞いてみると、玲子さんから面白い答えが返ってきた。「森さんの野菜には、その時々で小さい子がいるんです。スーパーで同じ野菜が並んでいたら、より大きい方を選びたくなりますよね。私はずっとそうだった。でもある時入っていた小さなカブに触れた時、今のこの子の力が、この姿なんだと感じた。それからは時季外れに大きく揃った野菜に違和感を感じるようになりました。もしかしてその子らは、何か(良からぬもの)を貰ってしまったのかなと・・・」

フウシカオーガニックでは肥料を畑に持ち込まない。その地に在る自然と共に、種本来の力が野菜を育てる。だから形も大きさも整うことはなく、ありのままの命が姿となる。宅配野菜を始めてから、野菜の見え方が変わったという二人。この地が育む自然をささやかに喜び、丁寧に食したい。フウシカの野菜は、佐藤家の台所と食卓をやさしく灯す。

地力を愛でる

肥料を使わず、やみくもに除草もしない。既にその地に生きて在るものを認め、種が持つ個の力を大切にするフウシカオーガニックの野菜づくり。真に「元気がある」野菜に価値を見出し、まだ知らぬ人に伝えることは簡単ではない。目隠しをして食べて違いがわかるほど、敏感な舌があるわけではない。それでも佐藤夫妻がフウシカオーガニックを選ぶのは、未来にかける願いと共に、森さんへの深い信頼と安心感があるから。「天然きのこというと重宝されるように、地力のある野菜の価値が、もっと伝わればいいですよね」と健一さん。

フウシカオーガニックの野菜が来てから、玲子さんの料理は少し変わった。キッチンに並んだ顔を見ながら、さてどう食べてあげようかと頭をひねる。食べたい料理から食材を選んでいた以前とは、真逆のような発想だ。だから同じものは二回とない。森さんの作るものなら、初めての野菜があっても大丈夫。料理する楽しみと食べることで得られる発見があり、それがまた面白い。

健一さんは週5日、自転車かランニングで「そば処三分一」へ通勤する。10年間治らなかった胃潰瘍は、ここに暮らし始めて半年で治った。保護犬だったクリスは、家族になってから段々と毛色が茶から白に変わり、のびのび駆け回れる生活が良いのか、足が長くなった。同じく保護犬だったシルクは、家族になって今年でちょうど1年。少しずつ暮らしに慣れ、気持ちを通じ合えるようになってきた。

佐藤一家が営むこの家は、かつて玲子さんのお父さんも共に暮らした面影と共に、健やかでやさしい光に満ちている。(完)


取材・文・写真/ "種と風広報舎" Chiaki Nakamori