好き嫌いはあってもいいんだよ(後編)
好き嫌いは、野生だ
好き嫌いの感覚を持っているのは人間だけではありません。
自然界の動物は、病気になると自分の味覚や嗅覚等を使って、自分が食べるべきものを選んで摂取します。
食べる物の選択=命の選択といっても過言ではないでしょう。
では、どうやって自分の食べるべきものが分かるのか?
その判断基準こそが、“好き嫌い”という感覚なのです。
“好き嫌い”はワガママなんかではなく、動物として生きるために必要な“野生”という大切な能力。
文明社会に暮らしていると忘れられがちですが、私たち人間も動物です。
特に子どもの時期は、溢れんばかりの野生を持っています。
大人よりも子どもの方が、本能に忠実で好き嫌いがはっきりしている傾向にあります。
しかし、現代の日本社会では「成長、大人になる」=「好きなことをやらずに嫌いなことを我慢してやり続けられる」という、いわゆるのプログラムが暗に浸透しています。
自分の感覚を置き去りにし、溢れる情報や周りの意見ばかりを判断基準にしていると、だんだん“好きか嫌いか”や“心地良いか良くないか”といった自分の感覚が分からなくなり信用できなくなります。
すると、判断基準の軸が“自分”から、流れる情報などの“外部”へシフトします。
現代はあまりに色々な情報が溢れているので、これまた何を信用したらいいのかもう迷子状態!
こういう相談を度々受けます。
そういう時に私がお伝えするのは、「唯一絶対に正しいと言えることは、“絶対正しい情報はない”ということ」
全ての人に合う○○(食事法、食べ物、薬、運動、etc)というのはありません。
大切なのは、自分にとって必要かどうか。
そして、その判断をする最後のよりどころは、自分の“野生”なのです。
好き嫌いの感覚を鍛えよう
テクノロジーが進んだといっても、まだまだ未知のことの方が多い世の中。
加えて、近年の天災やコロナ渦などを初め、一寸先には何が起こるか全く分からないこのご時世です。
色々な情報が溢れている現代だからこそ、それらに振り回されないために意識的に野生や直感力を鍛えることが大切です。
では、どうやって直感力鍛えるのか?
キーワードは、“足し算より引き算”。
「何をする(とる)か」より、「何をしない(とらない)か」という視点で行動を起こすと、カラダが本来持っている力が上がり、自分にとって必要なものが見えてきやすいです。
食行動での例をいうと、以下のようなことがあげられます。
- 本当に空腹かを自分の身体に問いかけてみる。時間になったから食べるという習慣ではなく、空腹でなかったら無理に食べない。
- まずは1食抜いてみる(特に夕食だと身体の変化を感じやすい)
- お腹がいっぱいになるまで食べない(食べた後、身体がだるいように感じたら食べ過ぎです)
- とるものではなく、とらないものを決める(添加物、農薬、白砂糖など精製されたもの、etc)
- 早食いをしない(しっかり噛むことを意識する)
とてもシンプルなようですが、シンプルイズベスト、効果適面です。
お金も時間も手間もかからず、広い視野で見ると自分の身体にも自然環境にとっても優しい選択となるのではないでしょうか。
ぜひ、できそうなことからやってみて、自分の身体の変化に注意を向けて合う方法を選んでみてください。
日本の便利な現代社会では、便利さと引き替えに野生や直感力を使う機会が失われています。
だからこそ、“食べる”という日々繰り返している身近な行為、だけど本能を使う数少ない機会で野生を鍛えてみませんか。
好き嫌いを“なくす”ことではなく、“理解する”ことで自分のカラダを知り、カラダとコミュニケーションがとれれば、自然と自分で自分をケアできる人が増えるだろうなぁ。
これって、何だかワクワクしませんか。
好き嫌いはカラダからの大切なメッセージだと前編でお伝えしました。
「“好き嫌いをなくそう”は自分のカラダからのメッセージを無視することにつながる」
「食べ物を残さないことで食べ物は粗末にしないかもしれないけれど、引き替えに自分を粗末にすることにつながる恐れもある」
“好き嫌いをなくそう”という固定観念には、こういった一面もあるのではないでしょうか。
最後に大事なことをもう一つ。
嫌いだからといって、その食べ物を無下に扱うことはしないで欲しいです。
それは自分を大切にしていることとは違いますので。
これって、人間関係や価値観にも通ずるところがありませんか。
written by Yuko Hama